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2011年3月31日木曜日

かける言葉

2011年の3月が終わります。
戦後最大の災害に見舞われてしまった「その時間」として、今後、歴史に大きく刻まれることでしょう。

20日を経過した今。被災地は少しずつですが復興に向けて前進し始めました。でもまだ余震も多く、そして原発問題の解決のゴールは見えません。それどころか新たに放射線被害や電力不足等の諸問題も併発する中、私達日本人はとにかく身に降りかかった火の粉を振り払うのに精一杯で、この国がどのように舵取りされるのが良いのか未だ妙案が浮かばない状況のように感じます。

それでも、惨状を伝える特別番組ばかりだったテレビ放映は、バラエティ番組やドラマ等の通常番組を再会し始めました。CMもACジャパン一色から、徐々に手さぐりするように一般企業のコマーシャルが流れ始めています。私の周りでは、自身や親類縁者や友人知人の安否の情報交換をようやく確認し合ったところです。



私はいつも思うのですが、何らかの形で災害や事故や病気または不幸の悲しみを負う立場になられた方へかける言葉の難しいこと。精一杯の誠意を伝えたくて選んだ言葉は、本当に相手の心に届くのか、逆に傷つけはしないか、と私はけっこうドキドキしてしまいます。なぜなら「言葉」は、人それぞれの歩んできた人生や、今いる環境によってはまったく異なる意味や色を持つからです。
風変わりな言葉を使うよりは、定型文を用いた方が無難と思ってそれに落ち着きます。

そして。そうです。今、日本中にはまさにこの2大定型文の「お見舞い申し上げます」「お祈り申し上げます」があふれています。口を揃えて同じ台詞ばかりですが、でも、まだ涙も乾かないこのナーバスな時期には、個性的な表現よりはルール通りが良いのかもしれません。

私のエリアである横浜・東京は地震による直接の大きな被害は無いということで、緊急に安否を心配する連絡は入りませんでしたが、しかしながら海外の友人知人からは、心配するメールを幾つもいただきました。彼らにとっては、小さな国土の日本の中での「東北」と「関東」なんて一緒なのでしょう。で、英語でも「お見舞い申し上げます」「お祈り申し上げます」に匹敵する定型文があるのかなあと気にかけた中で とても印象的だったメッセージがありました。

How close we are with Japan.
We are just one community, neighbors in one and the same place.

「ん?neighborって ご近所さんって意味だよね。え?なんで?」と思った次の瞬間に気がつきました。そうか!まさしくこれが「隣人愛」!!

そういえば、新しいACジャパンのCMで渡欧組サッカー選手が語っています。「一人じゃない」「皆が一緒にいます」。近くに寄り添って一緒に背負いますよ。。。という表現が、キリスト教文化圏における定型のメッセージなのかもしれません。
http://www.youtube.com/watch?v=YpNxLMGSGyQ
でも考えてみれば「見舞う」という日本語の語源も「訪れる」ということ。。。。。
気持ちは一緒ですね。きっと。

by マン・マル

2011年3月12日土曜日

2日目の夜

東北地方太平洋沖地震発生後、2回目の夜を迎えようとしています。東京・横浜においては、すでに日常の姿が戻りました。でもまだ、ニュースでは東北地方の余震および津波の継続を伝えています。ライフラインのストップや物資不足等の都市機能が混乱している地域も多いようです。もうしばらく、強制的に突きつけられる様々な困難に、無我夢中の想いで対応していかざるを得ない時間が続く。。。そのような人々が少なくないようです。御本人・家族・友人知人等さまざまな形で被害に直面された方々へお見舞い申し上げ、事態の改善と被災された方々が一刻も早く元気になられますようにお祈り申し上げます。

歴史に深く刻まれるような事故事件が発生しても、決まってその瞬間には、その事の重大さを知る術はありません。いつもよりかなり大きめの地震。。。私もそんな認識でした。テレビの前に座って、やっと、首都エリアの通信+交通機能が完璧に麻痺していること、そして、震源近くの東北太平洋側の都市が壊滅状態であることを知りました。電話回線や携帯電話が使えず、家族や友人との連絡も取れない時間が長く続きました。頼みになったのがインターネットです。ウエブメールで家族ともやり取りが可能になりました。
 
私は横浜市内のオフィス街で最初の大きな揺れを迎えました。役所に向かうために、原付スクーターを運転し信号待ちをしていました。後輪がバウンドし始め、そのうちスクーター全体が暴れ始めました。最初、スクーター個体のエンジンの問題だと思った私。でも次の瞬間、交差点の向かいのビルが、大きく縦にS字を描くようにダンスをしているのが見えました。「違う!地震!」と理解しましたが、すぐに揺れは終息するとの希望的予測で、ほんの数秒、構造シュミレーションのような動きを見せる建物に見入っていました。しかし、そのダンスは終わりそうにありません
「違う!これは大地震!」「街のあちこちでビル倒壊が起こるかもしれない」。やっと私は事の深刻さを理解しました。とっさに自分の位置の両側のビルの様子を確認せねばと思い付きました。左に建つのは、1920年代に建てられた横浜市認定歴史的建造物でした。耐震補強はされているとはいえ、もしこの4階建ての建物が横倒しになれば、完璧に飲み込まれることを自覚しました。少しでも建物から離れなければと思いますが、立っていることで精一杯。偶然に居合わせた白バイの警官が、拡声器で「走行しないでください。車体から離れないで」と周辺の運転者達に呼びかけました。歩行者も含め、文字通り、街が凍りついた時間でした。何分間が経過したのでしょうか。揺れが収まり、再び車両が動き始めました。目的地に向かいつつ街の様子を見てみると、続々とビル群から人々が出てきて、街路や広場に集まっていました。連絡や情報を得ようと、揃って皆が携帯電話を操作していました。


後ほどこの地区での揺れは「震度5強」だったことを知りました。
これは16年前に、私が阪神大震災時に京都で体験したものと同じでした。

現在、まだ余震は治まっていませんし、第二の災害としての原発事故を報道が繰り返しています。 また今回の東北太平洋側の地震が、日本海側や内陸部等の異なる地点を刺激し、新たな地震が起こっているようです。まだ 緊張の糸をほどけない時間が続いています。被災地はもちろんですが、たとえまだ被害に直面していなくても、これから連鎖されるかもしれない災害に備える智恵立ち向かう強さと、そしてそれらをより強大にする人と人との結びつきを身につけねばと感じています。


by マン・マル

2011年3月4日金曜日

終了!HAA in Apple Ginza

2011年3月4日金曜日、第4回のHuman Tuneこと HAAのアップルストア銀座店での公開プレゼンテーション会が開かれました。当初の予定を早めて。。。。18時からの2時間で、かなりたっぷりの計7つの優秀卒業制作作品がラインアップされました。1月末の学内でのHAA時よりはそれぞれにブラッシュアップされ、よりインパクトある内容に仕上がっていたと思います。会場は9割の座席が埋まる盛況ぶり。プレゼンテーターの学生の家族友人、学校関係者そして卒業生らはもちろんですが、この3Fシアターは無料で自由に観覧OKとあって、他の目的で来られたアップルストアのお客さんもフラッと立ち寄ってくださっていました。または密かに(?)企業の人事担当の方も来られていたりして、温かな中にもピリリとした緊張感もありのプレゼンテーション会でありました!

プレゼンテーション会終了後は、→→ 場所を移して懇親会!
こういった機会にと思い、かなり昔にまるゼミを巣立っていった卒業生に私から声掛けし、4期生と7期生の数人が、平日の残業を早々に切り上げ駆けつけてくれました。学年毎の同窓会等に講師として私がゲスト出席させていただいたりはしますが、このような学校行事で、正式に卒業生用の席を設けて新旧の学生が顔を合わせるというのは実は初めての試みでした。当専攻では現1年生が14期生ですから、実に10年の年月を隔てたまるゼミメンバー。でも、とってもホームな空気感で、お互いにすぐに馴染めたようです。現役生は就職や実務についての経験談を大いに質問し、卒業生は自分の学生時代よりも進むデジタルスキルの現状に大いに刺激を受けたようです。

軽~い気持ちで会場見当をつけるつもりだけだった私は、金曜夜の銀座の飲食店状況の盛況ぶりに翻弄されてしまい、がっつり幹事となってしまいました。不況とはいえ、やはりこの街はスゴイですね。でも皆の楽しそうな顔を見れたので、苦労が報われました。。。。。

by マン・マル